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η'中間子で探る真空の構造と質量の起源
理学院 物理学系 准教授 藤岡 宏之

「身の周りにある物質はなぜ質量を持つのか?」これは、物理学における重要な問題の一つである。素粒子が質量を獲得する仕組みとして1964年に提唱されたヒッグス機構は、2012年に大型ハドロン衝突型加速器LHCにおいてヒッグス粒子が発見されたことにより、その正しさが実証された。ところで身の周りの物質は原子から構成されており、その原子は原子核と電子から成り立っている。電子は素粒子であるものの、原子核の構成要素の陽子や中性子は、素粒子の一種であるクォーク3個からなる複合粒子である。ところがクォーク3個の質量を単純に合計しても陽子の質量の2%程度にしかならない。電子の質量は陽子の約1840分の1しかないことを踏まえると、冒頭の問題に完全に答えるためには、陽子の質量の起源を解明する必要がある。

クォークに働く相互作用は「強い相互作用」と呼ばれており、量子色力学という理論によって説明される。2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎先生が提唱した「自発的対称性の破れ」という概念によれば、量子色力学における真空とは何もない空間ではなく、強い相互作用によってクォークと反クォークが凝縮した一種の超伝導状態である。このような真空の非自明な構造が、陽子の質量の98%の要因になっていると考えられているが、量子色力学から直接証明されているわけではない。

本研究では、真空の構造と質量の起源の関連を探るべく、新たな実験を実施する。真空における粒子の質量は既に測られており、また真空の構造を直接「見る」ことは決してできない。そこで、真空と原子核内部という異なった環境下において粒子の質量がどのように変化するかを評価する。原子核のような高密度の環境では、自発的対称性の破れは小さくなっていると考えられている。また、η’中間子という粒子は真空中で例外的に大きな質量を持つことが特徴であるが、自発的対称性の破れの大きさを強く反映していると言われている。この2点の帰結として、原子核内部においてη’中間子は軽くなることが予想されている。

実験は東北大学電子光理学研究センターにおいて行う予定である。光子ビームを重陽子(重水素の原子核)に照射し、重陽子の内部に生成させたη’中間子の状態を調べることで、η’中間子の質量の変化に関する情報を引き出したいと考えている。